2月14日(日)、前日に「下総三山の七年祭り」の子安神社、時平神社、高津比咩神社、八王子神社を巡ってきましたが、地元の有名な神社には行っていなかったので足を運ぶことにしました。
今回の目的地は検見川神社です。およそ1200年の歴史がある神社です。
HPで由緒を調べると、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歴史と伝統のある検見川の地に鎮まります検見川神社の御創祀は、およそ1200年前平安時代前期第56代清和天皇の御代にまで遡ります。
当時は、人臣として初めての摂政である藤原良房が清和天皇の外祖父として実権を掌握し、養子基経と共に摂関政治を藤原氏が確立した時代であります。
この天皇の御宇貞観11年(869年)全国に流行した疫病を鎮めるため、その消除を全国規模で祈りました。その時、下総国(現在の千葉県)で 素盞嗚尊 (すさのおのみこと)が祀られ、災厄消除を祈った場が当地(嵯峨という地名を持つ)であったのです。古来より国家単位の災いをも取り除くほどの神威の轟きます地なのです。
宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)は、平安時代後期藤原氏の勢力が衰微し、天皇が院庁に入って政治をみる所謂院政期に祀られ始めました。
第74代鳥羽法皇の院政期、第76代近衛天皇の御宇久寿2年(1155年)、勅命により平良文(将門の叔父)の流れを汲む千葉氏庶流で鎌倉初代将軍源頼朝配下として活躍する上総介廣常・金田小太夫頼次兄弟並びに頼次縁者三浦義澄等が、下野国(現在の栃木県)奈須原に於いて妖狐九尾の狐を退治した事件がありました。その内の一人頼次は、九尾の狐の霊威を畏み、崇敬していた宇迦之御魂神を祀りました。
その後金田氏は、執権北条氏、足利将軍家、又、松平清康(徳川家康の祖父)、宏忠(家康父)と代々有力支族及び徳川恩顧の家臣として仕え栄えることになります。
そして頼次の20世の孫である金田銀太夫正明が検見川の地を領有した時代、第108代後水尾天皇の御宇元和2年(1616年)検見川大明神の御神域に宇迦之御魂神を御奉賽し、現在に到っています。
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)は、室町3代将軍足利義満が南北朝を統一せしめた時代第百代後小松天皇の御宇応永16年(1409年)以来嵯峨の地に祀られていました神様であります。尊は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と共に我が国の母神であり御神徳の高い神として人々に敬われています。江戸時代になり、金田正明が日頃崇敬していたこの神を寛永年間(1624~1644年・第3代将軍徳川家光治政下)に現在地に遷し、祭祀を営んだのが最初とされています。
このように、古来より民衆は勿論有力武将の崇敬も厚いいともかしこき神を祀る神社として、その御神徳を高揚してきたのであります。
この三柱の神の鎮まります社を「神祇三社検見川神社」と尊称し、今日に至っているのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と書かれていました。
当社の本殿は並列した三社殿からなり、以下の神々が祀られています。
・素盞嗚尊(中神殿) – 八坂神社の祭神
・宇迦之御魂神(東神殿) – 稲荷神社の祭神
・伊弉冉尊(西神殿) – 熊野神社の祭神
末社は境内末社と境外末社があります。
境内末社
・寄宮社(五社堂殿)
・下総天満宮
・嵯峨大地主神社(祭神は土公神)
・天地神集神社(祭神は八百万神)
・難波塞神社
・江戸湾金刀比羅宮
・三峯神社
・古峯神社
・市神之社(祭神は夷神)
・浅間神社
境外末社
・尾鷲(おわし)神社 祭神は鷲大明神。検見川町3-341に位置する。
・三峯神社 旧称は犬飼神社。検見川町5-5に位置する。
八方除御祈願(HPから抜粋)
八方除は、建築工事・土木工事・造園・改修・増築・水廻り等の工事・住居の転宅等の時に、地相・家相・方位・日柄・歳まわりなどを知らずに犯したことに起因する病や悩み等、過去の災禍・災厄を取り除く方災除の御祈願と、それらの工事前、転宅、旅行並びに開店等を行う前に、今後、地相・家相・方位等の災いが無いように願う方除の御祈願であります。
また、八方除は年に三回、四ヶ月に一度、三年以上続けられる事により、今後の運勢を吉兆へと導き、人々を清々しい気の流れの中に立ち還らせ、幸せに導く御祈願でもあります。
当神社は、古来より八方除・鬼門除・方位除・厄除の守護神を祀る古社として知られ、現在は「八方除総鎮護」の広大無辺な御神徳をいただく多くの崇敬者が参拝する尊い神社として、房総を始め広く全国の人々から信仰されています。
海浜幕張駅からのルートをGoogle Mapで検索します。
検見川神社までは3.5kmの移動距離、所要時間15分と出ました。
境外末社の尾鷲神社と三峯神社まで足を延ばしても1.1km、5分の移動距離なのでまとめて行ってみることにしました。
まずは検見川神社です。
正面と東西に入口があります。
赤い〇の三か所です。
Google Mapの指示通りに進むと西参道に出ました。
駐車場があったので邪魔にならない場所に駐輪します。
参道の階段を登ると拝殿の脇に出ました。
ぐるりと迂回して正面に出ます。
拝殿に出ました。日曜日ということもあり、参拝者が多いです。
手水舎です。
君が代石です。
木曽山中で発見されたさざれ石をこの地に運んだものだそうです。
国歌の歌詞にでてきますが、初めて見ました。
拝殿の東側に進みます。
三峯神社(境内)です。
寄宮社(五社堂殿)です。
ご利益がわかりやすく書かれていました。
古峯神社(境内)です
東参道から入るとギフト雑貨ショップの検見川神社うたせがあります。
東参道の鳥居です。
広い駐車場が設置されており、実際はメインの入口みたいです。
ちなみに拝殿の正面にある入口にも立派な鳥居があります。
こちらから入ると急な階段を登ることになりますが、東参道側からだと坂道なので東参道から参拝した方が便利です。
祈願も済ませ、一通り観て回ったので次の目的地に向かいます。
境外末社の尾鷲神社と三峯神社です。ロードバイクで5分くらいの移動時間です。
神社の向かいにある駐車場から海浜幕張のビル群がよく見えます。
尾鷲神社と三峯神社は社務所らしき建物を挟んで左右にならんでいます。
右側にある尾鷲神社です。
手水舎です。
拝殿です。
賽銭箱がありませんでした。
村社再建記念碑があります。
左側にある三峯神社です。
赤い鳥居の先に小詞群が鎮座しています。
小詞群の右隣にも祠が並んでいます。
検見川神社と比べてしまうと良くないのかもしれないですが、境外末社は賽銭箱もなく寂しい感じでした。
それぞれ祈願も済ませて帰路に着きます。
帰りは東大グラウンド通りから国道14号を横断し、真砂大橋経由で戻りました。
2日間ロードバイクで神社を巡ってきましたが、マスクをしたまま移動したのでこころなしか顔の上半分と下半分の色が違う気がします。
人がいないところに行って日光浴しいた方が良さそうです。
来週は稲毛浅間神社に行ってみようと思います。