2021年2月2日(火)に暖かかったので鷺沼城址公園までポタリングをしてきました。
週末に神奈川県の「こどもの国」、埼玉県の「航空記念公園」で開催されたマラソン大会に参加したため、太腿とふくらはぎにダメージが残っていたので近場を走ることにしました。
海浜幕張駅から鷺沼城址公園までのルートを検索すると4.8kmの移動距離で、所要時間20分と出ました。指定通りのルートを選択して向かいました。
鷺沼城址公園という名前ですが実際に行ってみると古墳があります。
鷺沼城の詳細は不明ですが、正応年間(1288年~1293年)には鷺沼太郎源太光義が居城としたといれています。また『吾妻鏡』にある、「石橋山合戦」で敗れたあと安房に逃れた源頼朝が軍勢を整えた鷺沼館(鷺沼御旅館)がこの城である可能性も指摘されていますがはっきりしていません。
現在城址は「鷺沼城址公園」として整備されており、土塁や切岸などの遺構を確認することができます。また公園内には2基の鷺沼古墳が残されており、鷺沼城の土塁も古墳を利用して築かれていたのではないかと言われています。
入口付近の写真です。
公園内は自転車通行禁止です。入口の手前に駐輪します。
公園自体は小さくて、園路を一周しても約290mしかありません。
近所の方でしょうか、公園内でヴァイオリンの練習をしている人がいました。
入口を入って右側には遊具があり、子供が遊んでいました。
遊具は高台にあるのですが、どうやら土塁の上に設置されているようです。
遊具の先にあるのが鷺沼古墳B号墳箱式石棺です。
古墳に関する説明がありました。
A号墳とB号墳の2基の古墳が見つかっていて、昭和41年の調査でA号墳は6世紀後半、B号墳は6世紀末のものと推定されているとのこと。
石棺の前には鷺沼古墳と彫られた碑がありました。
B号墳とA号墳の間には埴輪のモニュメントがありました。
実際に出土したのは人物埴輪と馬の埴輪の小さな破片なので、モニュメントと同じ形状かは不明です。
さらに奥に進むと鷺沼太郎源太光義の碑があります。
1959年(昭和34年)に建立されたものだそうです。
鷺沼太郎源太光義の碑左斜め後方に小さな鳥居がありました。
鳥居の先には小さな祠が、ここがA号墳です。
一通り見終わったので、そのままぐるりと園路を歩きます。
A号墳の裏手は樹木が茂っています。
高台にあるので見通しが良く、谷津方面の住宅やマンションが見えます。
JR津田沼駅方面です。公園内の樹木の先に駅前のタワーマンションや雑居ビルが見えます。
園路を出口方向に進むと、隣接している住宅地が見えます。
一回りしてみて、小さな公園ですが緑が多くてベンチも各所にあり、公衆トイレも備わっているので気分転換に散歩するにはもってこいの場所だと思いました。
緊急事態宣言が期間延長になると話題になっていることもあり、真っすぐ自宅に戻りました。
往復で9.6km、約40分のポタリングでしたが、筋肉がほぐれて太腿とふくらはぎのダメージもだいぶ良くなりました。
筋肉痛が治ったらもう少し遠出してみます。