音楽専門誌『MUSICA(ムジカ)』を発行する出版社の代表を務め、執筆活動やテレビ・ラジオ出演、他にロック・フェスティバル「KESEN ROCK FESTIVAL」のサポートや「VIVA LA ROCK」のプロデュースを行う鹿野 淳氏(54歳)。多忙な生活を送る鹿野氏は、これまで何度もフルマラソンに出場している。音楽を中心とした生活を送る中で、なぜそこまで走るようになったのか?
あまり語られる事がなかったスポーツとの出会いから、フルマラソン出場に至るまでの核心に迫ってみた。
――鹿野さんは、子供の頃に好きなスポーツはありましたか?
鹿野:父親が長嶋茂雄さんの大ファンでして、読売新聞以外は買わない、長嶋さんがCMに出たらその商品を買うような人でした。一緒に後楽園球場(現東京ドーム)に巨人の試合を観に行きましたね。
極めつけは、父が球場で長嶋さんを出待ちして、長嶋さんの前で僕のことを突き飛ばしたんですよ(笑)。それで僕が転ぶと、長嶋さんが「坊ちゃん、大丈夫かい?」となるじゃないですか。そのタイミングで父は後ろから出てくると、「長嶋さん、大丈夫です!握手してください!」と言うわけです。僕を散々利用していましたね(笑)。
――ユニークなお父様ですね(笑)。
鹿野:父からの影響が強かったせいかジャイアンツフリークとなり、リトルリーグで野球を始めました。でも中学へ行くと卓球に走ってしまい、完全に失敗しましたね(笑)。さらに失敗したのが、高校ではバスケット部に入ってしまったんですよ(笑)。
――なぜ、極端な方向転換をされたのですか?
鹿野:エレクトーンの免許を11歳で取得して北京などで演奏したこともありましたが、中学では全く違うことをやりたくなって卓球を始めてみました。かろうじて県大会に出場できましたが、親は僕がエレクトローンで全国トップクラスだったので、全く評価をしてくれなかったんですよね(笑)。めちゃめちゃ悔しくて、今度は高校で卓球を辞めてバスケットに走りましたが、ずっと2軍で、行く末を諦めて途中で辞めました(笑)。
――今の鹿野さんからは、想像できないスポーツ遍歴があったのですね。
ところで、ランニングとの出会いはどのような流れだったのですか?
鹿野:僕の家の前が東京マラソンのコースで、大会2回目(2008年)の時かな?36km地点で女子アナウンサーが機材を持つカメラマンを引き連れて笑顔で走っている姿を見て、「フルマラソンは誰でも走ることができるんだな。やってみたい」と失礼ながらナメたことを思い、走り始めるようになりました。
――初マラソンでは、どのような思い出がありますか?
鹿野:人間工学的に、「人は20kmを走ることができれば、フルマラソンを完走できる」ということを知り、皇居(1周5km)を4周走ることができたんですよね。それで初めてのフルマラソンに出場してみると、タイムが5時間台で完走することができました。でもあの頃はマラソンが何なのか、正直何もわかってなかったですね。走れば走るほど求道心が深くなるのがマラソンの面白いところだなあと思います。
――これまで何度もフルマラソンに出場されていますよね?
鹿野:最近では年に3回のペースでフルマラソンに出ていますし、普段からランニングをやっています。「きちんと走りたい」と思うようになったきっかけは、東日本大震災(2011年3月11日)でしたね。被害を受けた大船渡市に仲間ができて、そこへの支援を続けていく中で、2012年の東京マラソンに出場することになったんです。
それで仲間が、「これを着て走ってください」とメッセージを入りのシャツを渡してくれた瞬間に、「自分だけではなく人のために走りたい」という大それた気持ちに初めてなりました。
そこからの東京マラソンまでの1ヶ月間、めちゃくちゃ練習をして10キロほどのダイエットをして臨むと、タイムは4時間半程になり、ようやくマラソンのマの字がわかってきて、楽しくなりました。
――ランニングの時間は、決めていますか?
鹿野:朝、走ります。僕の場合、「仕事=人生」となっていまして、競争社会の中で生きているので、めちゃくちゃストレスが溜まるんです。しかもフラストレーションを溜め込むと良い仕事ができなく、上手くコミュニケーションを取れなくなってしまうので、ストレスを朝に一発で吹き飛ばすために早朝ランニングをしています。
――朝走るのは辛そうな印象があります。
鹿野:朝のランニングは最適ですよ。例えば、前日に許せないことがあって朝起きて悶々としている状態で8km程走ります。すると大抵のことに対して「まあ、いいかー」という気持ちになって、ストレスが消えるんですよね。これは凄く助かります。「朝走ると、1日を通して代謝がよくなる」と言われていますが、僕の場合は、精神面の代謝が成されていますね。
――朝起きてから何分後に走りにいくのですか?
鹿野:基本、いつもソファーで寝落ちするんですが、起きてから5分後に着替えて、無理やり外に出て走り始めます(笑)。暑くても寒くても最初は勿論しんどいんですが、2km位走っていると体が温まり、そこから6km程続けます。寝癖が酷いので走ってる姿は人に見せられたものじゃないですけど(笑)。
――ランニングの際に、使用している「こだわり」のアイテムは、ありますか?
鹿野:スマホに「Runtastic」というアプリをダウンロードして利用しています。これで、距離・心拍数・消費カロリー・歩数・歩幅まで計測できるので面白いですね。その日の自分の体調や機嫌が何となく数字でわかります(笑)。
――ランニングシューズに関してはいかがですか?
鹿野:ランニングシューズへのこだわりはないですが、実は、昨今話題のズームフライ(NIKE)を買ってみました(笑)。それで走ると1km辺り25秒も速くなったのでビックリしましたね。あれ、走ってるというより乱暴にいえば、走らされてますね(笑)。普段は、走っている感覚が体に伝わりやすく、軽くて薄底のターサージール(asics)を履いています。
取材:池田鉄平
文・写真:佐久間秀実
【鹿野淳(しかの あつし)】
1964年、東京都生まれ。2007年に音楽専門誌『MUSICA』を創刊。これまでに『ROCKIN’ON JAPAN』、『BUZZ』、サッカー誌『STAR SOCCER』の編集長を歴任。
各メディアで自由に音楽を語り注目を集め、音楽メディア人養成学校「音小屋」を開講。2010年には東京初のロックフェス『ROCKS TOKYO』、2014年にはさいたま初の大規模ロックフェス『VIVA LA ROCK』を立ち上げるなど、イベントプロデュースも手がける。