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自転車

2021/3/5

『熟年初心者がロードバイクに乗ってみた』⑰福星寺館跡へのポタリング!

今回は四街道市の福星寺館跡に行ってきました。

 

千葉市に隣接する四街道市ですが、普段立ち寄ることもないのでポタリングすることにしました。

ネットで目的地を検索すると、福星寺館がヒットしました。しだれ桜で有名らしく、この時期では咲いていないと思いますが立ち寄ることにしました。

 

四街道市のHPには下記の記載があります。

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真言宗豊山派福星寺は、四方を土塁と空堀に囲まれた中世の城址でもあります。

中世期に「平清盛」を始めとする「桓武平氏」の流れを引く、下総国守護「千葉氏」の一族で臼井庄(現在の四街道市北部と佐倉市臼井周辺、八千代市、船橋市東部)を治めていた「臼井氏」の一族「吉岡氏」が近隣の木出城と共に居城し、同じく四街道所縁の臼井氏一族「山梨氏、蕨氏、中台氏、小名木氏」らと共に千葉庄山梨郷周辺(現在の四街道市南部)を治めていたといわれています(吉岡氏に関しては、関東公方に仕えた吉岡盛胤が知られています)。

時代は下り、下剋上の戦国時代には「鬼美濃」の異名を持つ、武田信玄の家臣「原虎胤」の出生家でもある千葉氏一族の「原氏」が、後北条氏の他国衆として千葉氏宗家を凌ぐほど下総国にて台頭し、臼井庄と千葉庄を治めます。そして臼井氏一族は原氏直属の家臣団「臼井衆」に加わり、関東管領の上杉謙信や上総武田氏、房総里見氏・正木氏らとこの四街道周辺の地で合戦を繰り広げ、後北条氏と供に戦国諸大名(武田信玄、徳川家康など)との合戦のため、関東各地へ遠征しました。

やがて天下統一に乗り出した豊臣秀吉と関東戦国諸大名による「小田原合戦」によって後北条氏と供に千葉氏が滅び、豊臣軍の徳川家康により関東が平定されました(原氏は家康の家臣に加わりました)。そして元和2年(1616年)に權僧都宥照という僧により寺院として廃城跡に開基されたのが福星寺始まりといわれています。

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築城主は不明だそうです。

 

海浜幕張駅から福星寺館跡へのルートをGoogle Mapで検索すると、国道14号線に出て、京葉道路の宮野木JCTに向かう道を左折、JR稲毛駅に向かう道を右折。県道72号線をモノレールの作草部駅に向かい、作草部駅を過ぎたところで作草部坂通りを左折、国道51号線を北上するルートを使用します。

位置的には海浜幕張の真東にあるのですが、ジグザグに向かうイメージです。

移動距離は19.3km、移動時間は1時間22分と出ました。

 

早速向かうことにしました。

多少アップダウンがあったので途中2か所のコンビニで休憩しました。

国道51号線を右折して福星寺館跡に向かう道はアップダウンがあり、畑や林を通るので少し不安でしたが無事に近くまで行けました。ただし、福星寺館跡の直前では県道66号線を右折するのですが、なぜか1本手前を右折する様に指定されました。左折する道がわからず探しましたが、どうやら民家の敷地内を左折する様に指定していたようです。60㎝ほどの境のない焚火の燃えカスの上を手で押して移動しました。

 

何とか目的地に到着しました。

お寺の向かって右側が工事中だったので、ネットの写真とは違って見えました。

 

門をくぐるとすぐ本堂があります。

賽銭箱などは見当たりませんでした。

 

本堂の前にあるしだれ桜はまだつぼみもついていませんでした。

 

本堂の左側にいくつもの碑が並んでいました。

文字がかすれていて一部の碑以外は何の碑なのかよくわかりませんでした。

草が多くてわかりにくいですが、碑の後ろが土塁になっています。

 

碑にならんで石段があります。

 

階段を登ると祠がありました。

祠の後ろ側は土塁で崖の様になっていて、木が鬱蒼と茂っていました。倒木もあり、人が歩けるような感じではありませんでした。

 

本堂の右側から門の方を見た景色です。

門の右側にも土塁があるのがわかります。

本堂の裏手も土塁があるみたいです。

 

一通り観て回ったので戻ることにしました。

 

帰りは、来た道を作草部坂通りまでそのまま戻り、作草部駅の点前を右折せずに直進し、千葉大学の裏側を通って帰りました。

 

走行距離は36.51km、走行時間2時間18分33秒、平均スピード15.8km/h、獲得高度は93mでした。

割と坂道が多かったような気がしたのですが、獲得高度を観る限り、それほどでもなかったようです。

 

今回は予定があったので、福星寺館跡しか見ることができませんでしたが時間に余裕があるときに改めて周辺を観たいと思います。

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