2月23日(火・祝)、天気が良かったのでポタリングに行くことにしました。
晴れていて気温も上昇していたのですが、あいにく北風が強く吹いていました。取りあえず、江戸川の河川敷に向かうことにしました。
Google Mapで検索すると移動距離20km、移動時間1時間20分と出ました。
スタートしてから延々と向かい風の中を走行します。谷津から船橋市の区間は国道14号を避けるルートを指定されたので指示通りに進みました。船橋駅を過ぎたあたりからは、Google Mapのルートが自転車通行禁止の道を頻繁に表示してしまい、難儀しました。
市川市に入ったあたりの国道では20代後半ぐらいの巨漢の男性が車道を一切確認することなく飛び出してきて危うく事故になりそうな場面がありました。人が行きかうことのできる歩道があるのですが、どうしても友人と横並びで歩きたかったようで、車道を確認することなく歩道から降りて路側帯に飛び出してきました。
歩行者といえども安全確認はしてほしいです。
そんなこともありながらも、無事江戸川河川敷に到着しました。
河川敷に出るとすぐの市川関所跡がありました。
同様の跡地が小岩川にもあるようですが、強風の中橋を渡るのは危険なので千葉県側の河川敷を進むことにしました。
江戸川河川敷を下流に向けて進むとUP RUNの大会で使用するコースに出るので、上流に向けて進みます。写真の橋は京成線の線路が通っています。
上流に向い、和洋女子大付近まで進むと整備された舗道に切り替わります。
そのまま進むと里見公園という大きな公園があるので、立ち寄ることにしました。
写真の中央下から右に坂を登ります。
坂を登り切ると公園の入口です。
坂の途中に駐輪場があったのですが、満車状態でした。邪魔にならないように駐輪場の脇に駐輪します。
里見公園は千葉県市川市国府台にある市立公園で、春の花見の名所として有名です。面積は8.2ha。江戸川の流れを見下ろす高台にあるため、江戸川、東京東部の市街、富士山等山々の眺望に優れている。15世紀に、この地に太田道灌が仮陣を置き、弟の太田資忠らが国府台城を築いた。その後16世紀に里見氏・後北条氏の間で2度にわたる国府台合戦が戦われたと記録されています。
入口を入って左側に国府台城跡の説明がありました。
石垣や土塁が残っています。
公園の中央にカワヅザクラでしょうか桜が咲いていました。
このあたりにまとまって5本植えられていました。
桜の左側にはバラ園があり、中央には噴水がありました。
奥に進むと森の中に入ります。
森の中には里見群亡の碑や明戸古墳石棺などが残っています。
里見群亡の碑
永禄7(1564)年1月4日、里見義弘は8千の軍勢を率いて国府台に陣を構え、北条氏康軍約2万を迎え撃ちました。7日の戦いは里見側に有利でしたが、8日払暁、北条軍は寝込みを襲い一斉に攻撃したので里見軍は狼狽し、士気を失い敗退しました。この合戦で敗北した里見広次らをはじめとして討死する者5千名と伝えられます。その後、里見軍戦死者の亡霊を弔うものもなく、文正12(1829)年になってやっと里見諸士群亡塚、里見諸将群霊墓、里見広次公廟が建てられました。
(市川市HPより引用)
明戸古墳石棺
市川市の文化財に指定されているこの2つの石棺は公園裏山内にあり、文明11(1479)年に太田道灌がここに城を築いたときに盛土が取り払われて露出したものと伝えられています。板のような緑泥片岩製の組み合わせ式箱型石棺で蓋石は見られませんが古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初頭)この地方に勢力をふるっていた豪族の墓と推定されます。この地方に箱型石棺があるのは極めて珍しいといわれています。
(市川市HPより引用)
市川市最高標高地点の碑
市川市最高標高地点は里見公園の中にあります。標高30.1mです。
江戸川に面しているため東京方面の景色がよく見えます。
風が強く土埃も舞っていたので富士山は見えませんでしたが、スカイツリーなど東京の東側がよく見えました。
最後にもう一度桜を見て公園を後にしました。
里見公園概要
所在地 市川市国府台3-9
開設面積 8.4ha
交通 JR市川駅または京成国府台駅から、「松戸駅行き」または「松戸営業所行き」バス
⇒「国府台病院」下車 徒歩5分
駐車場 公園斜面下、江戸川沿いにあり
約40台、無料 利用時間:午前8時~午後5時
里見公園を出て次の目的地を検索します。
帰る途中に葛飾八幡宮を見つけたので立ち寄ることにしました。
少し遠回りですが、道の駅いちかわを経由して向かいます。
道の駅いちかわで少し休憩しましたが、意外と人が多かったので早々に退散しました。
道の駅からは自転車専用道路が途中まで整備されていましたが、途中から工事中でMap通りには進めませんでした。多少迂回して目的地に向かいました。
葛飾八幡宮に到着しました。
国道14号線沿いに一の鳥居があったのですが、撮影するのが大変そうなので少し奥に入った二の鳥居で撮影しました。
二の鳥居の先に随神門があります。
木造で屋根は銅板葺き。左大臣と右大臣の神像&東西南北の四方位を守護する四神霊獣が祀られています。
石畳をさらに進むと神門があります。
境内に入ると正面に拝殿があります。
早速祈願しました。
ご祭神(HPより抜粋)
・誉田別命 ほむだわけのみこと(応神天皇 おうじんてんのう)
仲哀天皇の皇子で、御母は神功皇后です。天皇は深く内外の政治に大御心(おおみこころ)を用いられ、文学を奨励し、数多くの地溝を開き、灌漑の便を御計りになられたことから、厄除け開運の御神徳と共に、わが国文教の祖、殖産興業の守護神として信仰されています。
・息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと(神功皇后 じんぐうこうごう)
仲哀天皇の皇后で、応神天皇の御母です。武内宿祢(たけのうちのすくね)と議り、懐胎の御身をもって男装して海を渡り、新羅を征せられた後、筑紫に凱旋し、無事応神天皇をお産みになられました。この御事跡から、武運・安産の神として信仰されています。
・玉依姫命 たまよりひめのみこと
鵜葺草不合命(うがやふきあえずのみこと)の后、初代天皇であらせられる神武天皇の御母神で、婦道に御功績が多く、育児の神として信仰されています。
ご由緒(HPより抜粋)
葛飾八幡宮のご創建は平安朝の昔、寛平年間(西暦889年〜898年)で実に千百年以上も遡ります。宇多天皇の勅願により京都の石清水八幡宮より勧請し、下総の国総鎮守八幡宮としてご鎮座したのが始まりです。以来歴代朝廷の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰も深く、当宮は下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。なかでも平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康の御朱印地社領52石の寄進等その尊信は篤いものでありました。現在もご祭神のご功績から厄除開運・必勝(「勝つしか」の名からも)・安産・育児守護の氏神さまとして、地域の方々の崇敬を集めております。毎年9月15日のご例祭日より20日まで、広大な境内で催される農具市(通称ぼろ市)の盛況さは、かつて関東三大農具市のひとつに数えられるほどでした。また、33年毎に斎行される大きな祭り、「三十三周年式年大祭」があります。
祈願を済ませてから神社内を一回りしました。
手水舎です。
鐘楼の前に力石がありました。
天然記念物に指定されているご神木です。
~『千本公孫樹(せんぼんいちょう)』
その昔、落雷によって地上6mのところで折れました。すると、多くの枝が根元から立ち上がって、折れた幹を囲み始めました。その枝が成長して、幹が多数あるように見えたことから、ついた名称です。
この時期だと葉が落ちて枯れて見えますが、夏には緑で覆われるみたいです。
厳島社 御祭神:市杵島姫命はじめ、宗像三女神
神輿庫
八坂社 御祭神:素戔嗚尊
浅間社 御祭神:木花開耶姫
葛飾天満宮 御祭神:菅原道真公
尾上稲荷社 御祭神:宇迦之御魂神
道祖伸
一通り観て回ったので帰路につくことにしました。
国道14号線と途中から並行する道路を使用して戻ります。
途中コンビニで休憩しながら帰りました。往路の向かい風が追い風に変わったのでだいぶ楽でした。
今回のポタリングは走行距離43.8km、休憩を除いた走行時間3時間6分36秒、平均スピード14.1km/h、獲得高度84mでした。
これだけロードバイクを漕いだのは初めてなので、脚がパンパンになりましたが、いい運動になっただけでなくかなり気分転換できました。
国道14号線はかなり自動車の交通量が多かったので安全運転に気を遣いました。
ストレスが残ってしまったので、日が暮れてから幕張から稲毛の海岸沿いを13.7kmほど自転車を漕いでストレスを発散してきました。
もう少し長い距離も行けそうなので、次はもう少し距離を伸ばしてみようかと思います。